揺曳する境界

生きてるうちに私が感じた事物をデータ化した何か。

つかのま ふきぬけの空間展を鑑賞

#時差スタグラム

ココラボラトリーにて、美大同期の親友であり、制作パートナーでもある(@fuwawatanabe )(@fukinuke )の展示を観てきました。あまりにも優しい空間で忘れていた感覚と感性にほっこり。 彼女の現象を追い求める姿勢に敬意を払います🙏。

鏡の作品🪞が特に自分は好きで、テクスチャがツルツル感、映り込んだ自分の歪んだ見え方に何時間でも居られるような気がして、そういう展示って凄いなと思うんですよね。水に浮かんだ島をつんつんしたり、茎の揺れを楽しんだり、そうやって笑顔になった時間を共有できる事も本当に多幸感がありますね。あっこれ、この滲みの感じが好きだとか、そういうの。忘れがちな日常だから。

 

ふうわちゃんの展示はなんだか触れる音楽みたいだなと思いました。ずっと流してても何度リピートしても飽きのこないやつの一歩上を行く感覚。

 

茎をぷるぷるさせる作品、指で作品をつんと触るとコミカルな動きをするもので、青森で観た水尻自子監督の「不安な体」という映像作品も同時に思い出し(もちろん内容と性質は違いますが)脳内で反芻していました。感覚を刺激される作品は本当に良いものだ〜。 

 

 

ふうわちゃんいつもありがとうね

 

 

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#展示 #つかのま吹き抜けの空間展 #アート 

BIYONGPOINT行った

 

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ブログの更新、久しぶり過ぎて....2年の時を経ました。笑

Twitterは長文が掲載できないので、コチラ再開する事に致しました。(過去のブログは恥ずかしい記事ばかりですが、敢えてのせておきます....)

 

今回観た展示は、

 

例えば(天気の話をするように痛みについて話せれば)
というCNA内ギャラリーBIYONGPOINTにて7/3まで開催されている展示です。

 

展示室1と2を通して考えたことメモとマトメ⇩として、記したものを残したいと思います。.....

 

私はかつて小児療育センター(現CNA現BIYONGPOINT)

という所に通っていた。
私は言葉を話すのは異様にはやかったのと裏腹に4歳になる直前まで正しく歩く事ができず、身体の障害を疑った母親が入所を決めたのだ。
そこでの記憶はうっすらとしたもので、話せるのに自分で思うようにいかないで、伝える術も完全に習得してないがために困惑し焦る自分と、何故かそれに対して怒る母親の姿。“普通の子”のようにできない私に対する心配が思い通りに動かない木偶人形のように感じはじめ、ちゃんとしなさいと怒ったのだ。あとは、様々なテストをした記憶が残ってるくらい。散々だったけど。
学習機能のテストと、あとはほぼ歩行のテストだ
ったと思う。結局、ガニ股だけど立つには立つし、試験の結果発育には問題がなく、私の精神的?性格的な問題であって、転倒するのを極端に恐れて歩行が遅れた臆病者であった事が判明し誕生日を過ぎたあたりから歩き始めたので退所したのだという。(母談) 今思えば、ただのとんだ心配ふっかけ野郎である。が、母がホッと胸を撫で下ろしたのは言うまでもないが。

もしあのまま私が歩行できないケア児だったら母はどんな顔をしたであろうか。なんて。精神的にも肉体的にも受けた痛みを自覚する事は確かに容易だ。なのに、相手の事と実際なるとそうはいかない。

展示では、空間の壁が剥がされていて、昔小児療育センターであった頃の壁紙が一部剥き出しになっていた。ギャラリーの壁を壊し剥き出しの過去の壁を剥き出しに観せていたのである。

ハンドアウトには、こう記されていた
「隠された面を見るためには、既存の壁を破壊する必要があります。隠されたものは何なのか、覆い隠す存在とは何なのか、考えています。」と。

存在はしていても開示できない、伝えたくてもうまく伝わらない、という事はよく発生する
生きているだけでディスコミュニケーション状態が常に隣り合わせとなっていて、日々怯えたりする。人の内面や抱えているもの、というのは圧倒的に閉ざされているのだ。

私は今現在、お酒の商売をしていて、自分の加害性に後から気付く事があり、反省する。多種多様な方が呑みにくる。相手の情報をすぐ知りたくなって、色々踏み込みたくて、自分と相手との壁を壊したくなって、その壁の崩壊にだけフォーカスして手段と目的が入れ替わってしまい、いきすぎて相手を傷つけてはいまいか、心まで壊していないか、と最近必ず後になって心配になったりする。
お酒が入っているからと言って、相手も同等に酔っているとは限らないし、お酒のせいにして勿論他者を加害してはいけない。しかしながら私は未だ幸せだろう、ほぼ毎日、人と対話でき、当たり前を更新でき、世の常識を疑う事ができる環境下に入れる今がどれだけありがたい学びになっているか、気付かされている。自分の中に作られた強固な「普通」を常に疑い、更新していくために人との対話は欠かせない要素であると、私も強くそう思う。怖いけど、間違ってしまうかもしれないけども、相手を知る一歩は踏み出さないといけない。昔のあの時の私のように、ガニ股で不自然な歩き方でもいいから、なにかの声に押し潰されないよう人と真摯に向き合っていく覚悟を持ちたいと、そう思った。

 

 

会期:2022年4月29日(金)~7月3日(日)

時間:9:00~17:30

場所:秋田公立美術大学ギャラリーBIYONG POINT(ビヨンポイント)

秋田県秋田市八橋南1-1-3 CNA 秋田ケーブルテレビ社屋内

入場:無料

お問い合わせ:NPO法人アーツセンターあきた  TEL:018-888-8137

 

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最後の写真🤳だが、これは展示室ではなく、酔っ払いにあけられた私の店の穴である(笑)

#BIYONGPOINT 

昔から父に愛されるなら、機械になりたいと思っていた。父親は放任主義で、自分は父と遊んでもらった記憶がない。常に仕事人間で、家には疲れて帰って来た機嫌が最悪な時にしか会えない。車や機械が大好きで、人は苦手なぶっきらぼうな父だった。私とはほぼ会話はなかった。私は母親にべったりだったし、父親はいつどこで自分が怒らせるか分からないくらいの短い導火線の所有者だったので、避けていた。でも、何故か父からは、小さい頃からパソコンやゲームを沢山与えられていて、誕生日には山ほどの新作ゲームやハードが、頼んでも無いのに沢山届いたりした。父親は私のゲームの趣味など一切理解していなかったので、毎度「数打ち当たる」方式で、メジャーなソフトやマイナーなソフト、ほんと色んなジャンルのゲームが家にあった。母はきっとよく思って無かったのだけど、(成績が悪いときがあると、よく没収された)それらに食いついて必死こいて遊んでた。ある時、買ってもらった「風のピノビィ」というゲームボーイアドバンスのソフトで父の側で遊んで居た時どうしてもクリア出来ないステージがあった。それで躍起になった私は癇癪を起こし気味で、言語を間違えて「このゲーム難しい」と言う筈だった所を「このゲームつまらない」と父に言ったのだ。それを聞いて父は激怒し、ゲームボーイを取り上げて投げつけられ、もう買ってやんねーぞ!と言われたのを覚えている。(7歳)

父は、とにかくすぐに怒鳴り手が出る。それが怖くて自らコミュニケーションをとるという事が家庭内でほぼ無かった。父との接触を最小限に抑えていた。こどもなりに。

今思えば、共に遊んだ記憶が全くないけれど、ゲームを与えるという事が不器用な彼なりの「愛」であり、自分では出来ない、どうする事も出来ない育児や子との触れ合いを、代替物で補っていたのだとも思える。 私と手を繋ぐ事すら嫌がった父は、私が成長すればするほどに、一筋縄ではいかない子どもに彼なりに疲弊していたのだろう。彼も小さい頃

甘やかされて拗れて、本当の愛を両親からは得られて居なかった。そりゃあ、愛し方も分からないとは思う。ただ、私はこどもなりに、感じ取れたので、彼から与えられたゲームでも全力で遊ぶ事が父へ通じる1番の間接的な接し方だったのでとにかく全力で遊んだ記憶がある。その姿を、父はビールを飲みながら言葉を発する事もなく、いつもボンヤリ私がプレーする様子を眺めて、そのままリビングで寝落ちしてた。私とゲームを通して接触を試みたかったのかとも思うし、違うかもしれない。なんとも言えないし、賛否は分かれるだろうが、きっとこれが愛だったと思いたい自分が居るんだよね。正解など どこの家庭にも無いのだから。

性転換手術を受ける夢

待機所でそんな夢見た。私は自分の性が結構嫌い。「女である事」に対して嫌悪の日々である。自分は自分の性を喜んで売り物に出来るくらいだから、全く己の身体に執着が無く、とっとと手放したいくらいだ。「いいなあこのおっぱい、欲しいなぁ」とよく客から言われるけど、冗談抜きで、「どうぞどうぞ」と、今すぐにでももぎって冥土の土産に持たせたい、そう考えた事が何度あったろう。自分はこの人生を、女である事を演じる事でお金を貰っているが本来の自分はというと、誰にも今まで言えないくらいの葛藤があり、「生きやすい=食っていきやすい」から、今の状態は便宜上良い。かと言って一生女で居ることもゴメンだし、かといって急激に男性になってしまうのも、心持ちは近いのだろうが多少違う気がして踏み込めないでいる。

生殖器の摘出や形成の費用は70万~200万円ほどに上るが、保険適用されれば原則3割負担で済む。学会によると、認定病院でない国内の医療機関や費用が安価な海外で手術を受ける例が多いという。(例:タイ)

厚生労働省医療課は「混合診療が課題となっている現状は把握している。ホルモン療法の保険適用に向けては学会に助言するなど連携して対応中」との事で、費用は思ったよりは安いが学費の残りカスのようなローン返済が毎月2万ずつあるので、まあ今の分際で到底無理だ。性別を無くしたい、そう思って4、5年なって、一回りした気分で今日も明日も女である自分を演じきれれば、ベストだなみたいな、なんだろうこの感覚 という。まあ所詮、人生なんてゲームなんだからな。少なくともわたしだけじゃないだろう。他の人も私とは違う類の悩みの仮面かぶって、よく生きている。ほんと尊敬、反面、クソがとも思ってしまったり難しいね。

とオラつきたさもありつつ。

何度も言うが「女性らしく」とかを仕事以外で求められるとそいつに向かってゲロ吐くから多分。。。

安酒で1人

結局、このクソコロナの時代になって自分の仕事にはまだ影響がないけど、習慣が変えられてしまった。自分は仕事が終わったら必ずどっかのバーで呑んでたし、ウイスキーをはじめとするお酒が純粋に好きだから、真剣に酒を作る人間が居て、それと向き合う自分が居て、時にはその酒で誤魔化す何かがあったり、横には一期一会の客が居て、みたいな。そういうのが心地良い人間にとってはかなり苦痛。痛みや苦しみは皆同じだし、あまりこうボヤきたくもないけど、ボヤけないし仕方ないだろ。普段バーでボヤいてる事を、この場でボヤこうと思う。

今ではコンビニに行けば約200円あれば幸せが手に入ると言うし、私だって金が無い頃は、毎晩最寄りのローソンで酒買って帰って一人で晩酌してた。

しかし、コンビニ行っても9%メインになってよ

世の中ストロングだなんだって、お前....あれが酒だと思うか?あれ飲んで癒されるか....?まあ中にはそれで満足な人もいるだろうけど........

手っ取り早く酔える以外の利点なくないか...?

いつから酒は辛い現実から目を背けるだけの代名詞みたいな売られ方し始めた.....?

当たり前だけど、冷ケースには自分の好きな酒なんてないわけ。コンビニには、自分の日々のストレスを聞いてくれたり、面白い話をするバーテンダーもはじめましてのお客さんも、大好きな常連さん達も居な客も居ないわけ。そこには疲弊した、コロナを怖がる自分と感染症対策によって透明な幕によって隔てられた2人しか居ないわけ。

そんで家帰るじゃん、飲むじゃん、メーカーさんには悪いけどまずいわけ。まずくて半分でリタイアして今日その残りカスを呑んでる自分が今この場でこの文章をチミチミとミミっちく打ってるわけよ。なんか急に頭に来て、元来頭にすぐ血が昇る性格だけど流石にフラストレーションが凄くてこの現状時代に頭きてるわけね。

安くても酒は酒だろと言う人と私はきっと一生涯合わない気がするし、近寄ってきて欲しくないわけ。何よりバーって文化だろ。少なくとも私は逃げる為に酒を呑んでた訳じゃない。一緒に街で酒を真剣に追求してる人間と共に生きているから行ってただけだ。とにかく醜い散文だけど、一刻も早く現場回復する事を願う。ウイルスの事だから家から安酒呑みつつ願うしか自分には出来ないのさ。

元どおりになれと言ってるわけではないからさ。

せめて。

 

同級生の死を受けて

私は何回か身近な人を亡くした事があるけれど

今回は何故かまた違ったキツさがあった

連絡がもう暫く無かったので、「便りが無いのは良い便り」と思っていたけれどもそれはやっぱり違うような気がする。

友人のインスタグラムがレイバンのサングラスに乗っ取られており、そのイイネの欄に友人の母親らしきアカウントがあって、彼女のアカウントをのぞいたら、友人を惜しむ投稿があり、連絡を取ったら嫌な予感が的中してしまったという流れ。

そして何よりもキツかったのが、自殺だったらしい。練炭自殺だった為、苦しまず何も分からず眠るように逝ってしまったのかもしれないが、その事実を突き付けられてまた1人、救えなかった自分に嫌気がさしていた。

色素の薄い透き通った肌の綺麗な子だな

と言うのが私の彼に対する最初の印象だった。天使のような綺麗な肌で、女の子と間違えた事もある。お互い引っ込み思案で私は極度の人見知りだったので、ほぼ家から出ず遊ぶことも数回しかなかったが

母親同士仲が良く、呑みに出掛けていたのでよく知っている。少し身体の弱い子ではあった。

同じ団地に住んでいたのだが私が引っ越したり、

中学では彼の方が不登校気味だったので

あまり交流する事が叶わなかったが、卒業後は楽しそうなインスタグラムの投稿がたくさんあった。

母親から言わせてみれば「彼は少し精神的に弱くて脆い部分があったから」と言うけれど

私から見たらとても強い意志を持った真面目な子だったので、彼は弱くなんか無かったと思う。

不謹慎だがレイバンがアカウントを乗っ取って、この事実を知らせなければ、一生知り得ない情報だったのでは無いかと思うと恐ろしい。自殺だったので葬式にも行けず、直接的なさよならを言うことは出来なかった。しかし、彼の書いた遺書は未だに見る事が出来ない。死を理解し墓にも行ったはずなのに更に突き付けらる現実を受け止められない気がして何故か読めないのだ。私はいつもこうで、知り合いの死を何故かこの目で見る事がまだ叶わない。元カレも東京で自殺してしまい、遺体をみる間も無く焼却され九州の地元の海に散骨されたので、その前に骨の一部を頂いてペンダントにした。なぜだろう、直面してないからこそまだ何処かで彼らが生きているような気がしてしまう。

今回は彼の最初で最後の便りだったのだと思う。

ありがとう、ヨネ

狭間で起こる行為

繰り返す 脱ぐ 着る 脱ぐ 着る

繰り返す 朝 昼 夜 

 

繰り返す 合う 合わない 

繰り返す 生きる 死ぬ 生きる 死ぬ

 

繰り返す 買う 売る 買う 売る

繰り返す 泣く 笑う 泣く 笑う

 

繰り返す 吸う 吐く 吸う 吐く

繰り返す 狭間で 繰り返す フィッティングルームで 繰り返す いつも 不安だから 繰り返す 繰り返す 繰り返す リピートする 私の身体 不安だから 表す しまう 閉じる 開く 

 

似合う 似合わない 似合う 似合わない

お似合いですよ

 

誰から見て

 

あなたの目で

 

お似合いですよ

 

あなたは見てない