揺曳する境界

生きてるうちに私が感じた事物をデータ化した何か。

昔から父に愛されるなら、機械になりたいと思っていた。父親は放任主義で、自分は父と遊んでもらった記憶がない。常に仕事人間で、家には疲れて帰って来た機嫌が最悪な時にしか会えない。車や機械が大好きで、人は苦手なぶっきらぼうな父だった。私とはほぼ会話はなかった。私は母親にべったりだったし、父親はいつどこで自分が怒らせるか分からないくらいの短い導火線の所有者だったので、避けていた。でも、何故か父からは、小さい頃からパソコンやゲームを沢山与えられていて、誕生日には山ほどの新作ゲームやハードが、頼んでも無いのに沢山届いたりした。父親は私のゲームの趣味など一切理解していなかったので、毎度「数打ち当たる」方式で、メジャーなソフトやマイナーなソフト、ほんと色んなジャンルのゲームが家にあった。母はきっとよく思って無かったのだけど、(成績が悪いときがあると、よく没収された)それらに食いついて必死こいて遊んでた。ある時、買ってもらった「風のピノビィ」というゲームボーイアドバンスのソフトで父の側で遊んで居た時どうしてもクリア出来ないステージがあった。それで躍起になった私は癇癪を起こし気味で、言語を間違えて「このゲーム難しい」と言う筈だった所を「このゲームつまらない」と父に言ったのだ。それを聞いて父は激怒し、ゲームボーイを取り上げて投げつけられ、もう買ってやんねーぞ!と言われたのを覚えている。(7歳)

父は、とにかくすぐに怒鳴り手が出る。それが怖くて自らコミュニケーションをとるという事が家庭内でほぼ無かった。父との接触を最小限に抑えていた。こどもなりに。

今思えば、共に遊んだ記憶が全くないけれど、ゲームを与えるという事が不器用な彼なりの「愛」であり、自分では出来ない、どうする事も出来ない育児や子との触れ合いを、代替物で補っていたのだとも思える。 私と手を繋ぐ事すら嫌がった父は、私が成長すればするほどに、一筋縄ではいかない子どもに彼なりに疲弊していたのだろう。彼も小さい頃

甘やかされて拗れて、本当の愛を両親からは得られて居なかった。そりゃあ、愛し方も分からないとは思う。ただ、私はこどもなりに、感じ取れたので、彼から与えられたゲームでも全力で遊ぶ事が父へ通じる1番の間接的な接し方だったのでとにかく全力で遊んだ記憶がある。その姿を、父はビールを飲みながら言葉を発する事もなく、いつもボンヤリ私がプレーする様子を眺めて、そのままリビングで寝落ちしてた。私とゲームを通して接触を試みたかったのかとも思うし、違うかもしれない。なんとも言えないし、賛否は分かれるだろうが、きっとこれが愛だったと思いたい自分が居るんだよね。正解など どこの家庭にも無いのだから。